[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いつの間にか寝ていたのか、気がついた時は朝6:00になっていた。
腹帯でお腹の傷を巻かれていて、両脚は血流が留まらないようにマッサージの機械がついて一晩中
交互にふくらはぎを揉む動作をしていた。
エコノミー症候群というやつだが、これを防止する為の機械だが、意外とすごいものだった。
それ専用のストッキングをはいていたが、機械だから具合悪いんじゃないかと思ったが
全くそれがなく、脚を動かさない状態でも全くだるみもなく、通常通りであった。
この手術を受ける事になっていろいろな体験談を検索していたがこの機械の事は載ってなかったので
他の患者達はこの点で苦労したんじゃないだろうか。
また、尿管に管が入っているのだが、膀胱に尿がたまると自動的に外へ排尿される仕組みになっている。
ただ、いわゆる『出す感覚』が感じられず、出ているのかが分からない。尿の回収袋はベッドの下で見れない。
ガンガン点滴をしているので尿もバリバリでるはずだが、自分で分からないので手術の腹痛なのか
尿がたまって膀胱付近が痛いのか、不安な夜の一因となっていた。
翌朝聞くと、約2リットルでていますよ、との事だったので、そういうもんなんだな、と。
お医者さんから動け動けといわれ、寝返りを出来る限り行い、足も動かせるところは動かす。
腹筋を使う動作はまるでダメだが、それ以外は気分も悪くなくまま快調である。
採血後、10:00頃にお腹のガーゼ交換を行い、着替えを行なう。
ツライ体勢だが、起き上がり上だけ看護師さんの手伝いで、下は自分。腹を使うのでとてもキビシイ。
その後、歩行開始となる。まだ丸一日経っていないのにもう歩くのか、とやはりこの手術方法は
回復早いんだと感心した。
《点滴と抗生物質、痛み止めを抱えつつ、ヨチヨチ歩き開始》
ベッドから起き上がるのはかなりきつかったが、このベッド、幸いに電動で枕部分が起き上がるので
目一杯起してから大型クレーンのようにゆっくりゆっくり上半身を垂直に起し、そのままお尻を基点として
真横に向ける。ここまでで約1分はかかった。で、スリッパを履きさあ立ち上がるって時に
ピリリと腹痛が!きたかっ、と思いつつ、そこはふんばって立ち上がると、猫背の状態だが
案外いけそうと思った。
ここまで約3分くらい。健常なら10秒とかからないだろうが、そこは手術翌日。
看護師もよく見守っていてくれた。
歩行ついでに、ここで尿管を抜く。その瞬間だけちょっと痛かった。ただ、入れる時はさぞ痛いだろう。
全身麻酔時で本当によかった。想像しただけでもイタイ。
父が突然面会。面会時間は決まってんだから、といってもしょうがない。
歩いている途中に来たもんだから驚いていた。とりあえず、元気な姿を見せられてよかった。
バナナを持ってきてくれたが、まだ食べれないんだよね、残念。
ここから、歩きまくる。歩くのだけなら腹筋を使わないのでそれほどつらくはない。
すれ違う看護師が声をかけてくれそれに応えようと苦しい笑顔を作る時に腹が痛いくらいだった。
そう、笑顔もそうだが、くしゃみや、咳はげらげら笑うのもやばそうだった。
ふだん、腹筋って使ってるんだと感じる。
腹ペコの中、歩き続ける。
午後、レントゲンを車椅子で看護助手と行く。車椅子も初体験。明らかに病人だ。気持ちは元気なのに
この姿じゃ、誰もがそう思うだろう。
午後のドクターの回診で胆石をもらう。石より砂利って感じだが。
ホルマリン漬けにして洗って乾燥したものだが、一見、きれいな石の原石みたいに見える。
なんでこんなものができるのだろうか。こんな細かい砂みたいな大きさで黄色と黒と緑がかった物質。
これが卵2個分の量で詰まっていたんじゃ痛くもなるだろう。
15:00 初めて尿がでた。すんなり出なかったが、強引に出してやった。やはり5大欲求の一つが
満たされると気分も爽快だ。
いつも通り家族が来る。昨日はチューブがつながったベッド上でのパパの姿だったから今日は元気一杯の
姿を見せて安心させてやろうと立ってスタンバッていた。
子供達の安心した顔をみてこちらも安心。いろいろ聞いてくるがすべてギャグで返してみる。
例えば点滴のことは袋についている色がピンクだったから、これはモモの味のおいしいのが
からだのなかにはいっているんだよ。と。
あしたは緑色だから、メロン味なんだよ。いいだろー、てな具合で。
何も食べれないので差し入れはなかったが、一緒に歩いて売店に行ったとかくだらない話しをして
盛り上がったとかたわいもない時間を過ごしたけど、やはりほっとする時間だ。
ベッド上で子供達は喧嘩をしたけどそれもまたよし。
バナナを4本食べて帰っていった。
19:00 夕食。 重湯が始まり、食事スタート。水分メインの献立だったが問題なし。
まだ、おならはでない。
5:00 起床 前日21時に寝ればこの時間には起きてしまう。
やることないからうとうと・・・
6:00 部屋の電気がついたとたんに病院は目覚める。看護師が
『はい、血圧計りまーす』、『用意できたら浣腸しますねー』
明るい声で元気よく病室に声が響く。
隣の部屋の浣腸部屋へ行って、めがしょぼしょぼのうちにおケツへズブッ。
『5分くらい我慢してくださいね~』
無理でしょ!もともと出そうだったのに、150mlも突っ込まれては我慢する余裕なんてなし。
30秒がまんして、いってしまった。
それからがしばらく大変だった。最後まで出きってないので残りを出したくてもだせない。
踏ん張ってもでない。30分くらいトイレでうなっていた。
結局でないまま、不安をのこしつつベッドへ戻る。
もどったら別の看護師がきて、初めて会話らしい会話をする。
それまでは、業務的でドライな感じだった(ま、当然でしょ)が、その一言から始まった。
看 『この空間、いい香りがしますね』
も 『どんなにおい?』
看 『なんかスパイシーがかかったというか、お香というか・・・』
も 『体臭っすか?』
看 『いえ、そんなんじゃなく、とてもいいにおいで、アメリカにいた時のようなにおいで。柔軟剤かな?』
も 『昨日家族が来ていたからその香水とかかな。ダウニーを使ってるけどそれかな』
看 『あ、でもイヤな匂いじゃないんで、気にしないで下さい』
たわいもないやり取りだが、そんな会話が和ますんだよな。自分の立場がこうでなければ
体感できなかっただろう。
7:00 お向かいさんとの話。
以前直腸がん摘出。後に肺に転移。心臓に近い為化学療法をしていてもう、9回目。
3泊4日だけど、退院する頃は副作用で結構つらいんだよ、と。
この、ドラマERの部長の吹き替えおじさんは、見た目ジェントルマンだし声もかっこいいのに、大変なんだ。
8:00 両親が来る。来ないと言ってたのに、心配なんだ。
で、うちの家族も来た。子供達も小学校と幼稚園休んで、奥さんも仕事を休み駆けつけた。
看護師により鼻の穴から胃へチューブを入れる。これがまたウエッて感じで苦しいのと吐き気で
チューブが入った後もしばらくは違和感で苦しむ。
そんな姿を子供達が心配そうな顔で見ている表情をみると、こっちまで悲しくなる。
歩いて、手術室のところまで行く。手前でみんなとお別れ。子供達がちょっとうるうるしている。
手術室に入ると、これまたメンバー達がお若い。看護師達もほぼ20代真ん中くらいか。麻酔医も若い。
ベッドに寝かされ、すること全て丁寧に作業内容を話しながら、準備してゆく。
ここで、今までで最大の痛みを受ける。
全身麻酔の手前、『硬膜外麻酔』だ。
背骨の脊椎のところに注射するわけだが、こいつがむちゃくちゃ痛い。
3回くらい刺された感触があったが、2回目、そして3回目は思わず大声を出しそうになった。
全くこの痛みを予想していなかった為、かなりインパクトをうけた。
そして、自分にとっての今回のメインイベント、『全身麻酔』。
といっても、酸素マスクをすっていて、これから麻酔が入ります~なんていった、ものの10秒足らずで
意識不明。覚えているのはベッドの周りをスタッフが取り囲んで皆こちらを覗き込んでいる時に
酔っ払った感じを加速させたような気分で、いってしまった事だけだ。
気づいたら病室のベッドの上で、家族が覗き込んでいた。
時間にして手術室に入ってから約3時間後だったらしい。病室に戻ってきていた。
痛みは感じない。仰向けでお腹周りは腹帯されてガチガチ。とても眠たい。
意識がもうろうとしている中で、子供達が手を握っていてこっちも『グー!』の合図をしていたのは覚えている。
ただ、むちゃくちゃ眠たかったので、そのまま寝てしまったようだ。
17:00 再び家族がやってきて、その頃は起きていたため手術中の話をした。
あちこちチューブを付けられている父親の姿に、さぞ子供達はショックを受けている事だろう。
退院したら、思いっきり遊んでやるとしよう。好きなものもここぞと買ってやるか。
話を聞くと、胆嚢を摘出後、家族の前でその胆嚢を見せた。更に、はさみで半分に切って中の
砂みたいなものを見てもらったらしい。
子供達もそうだが、母親も血系は苦手で、その後、ヘンな興奮状態となって、子供達同様、
落ち着かせるのに手間取ったようだ。
奥さんも看護師だからこのような時にはほんと助かるし、ありがたい。
その後は腹の痛みと耐えながら一夜を過ごす。
寝返り打ったほうがいいよといわれても、痛くてそれどころじゃない。
痛み止めが付いていて自分で操作するのだが、その日は苦痛の夜だった。
《痛み止め》
《痛い時にこの白い所を押すと薬剤が背中から体内へ入ってゆく》
昨日は病院の早い消灯時間(21:00)によってそうそうに就寝。
よって当然のごとく朝早くに目が覚める。
ただ、病院なので5時という早朝にもかかわらず
あちらこちらで患者さんの咳払いやうめき声、看護師さんを呼ぶ声で
し~んと静まり返っている感じではなく、かえってそれら騒音で
一旦目が覚めたらもう寝れません。
7時30分の朝食は味噌汁も薄味でやはり優しすぎる内容だったので、昨日見舞い時にもって来てくれた
ふりかけをかけて頂いた。このような薄味なご飯だと、ふりかけやおかずの塩分がとても引き立ち
おいしく感じる。デザートの桃缶も抜群の甘み演出である。
9時になるとお隣さんは息子さんがきて退院(話によると2週間後にはまた入院らしい。かわいそう)していった。
自分は朝のお勤めをしっかり出し、下半身がなまっていたので廊下にでてうろうろ歩き、ストレッチを行なう。
部屋に戻ると、隣のベッドを清掃しており、終わり次第、お向かいさんのベッドメイキングを行なっていた。
廊下ではこれから入るだろう患者さんのおじさんが、看護師と一緒に病棟説明を受けて歩いていた。
入れ替わり立ち代り、結構入院する人多いんだな。次から次へと対応するお医者さんや、看護師は
大変だ。看護師なんて話と歩く早さをみていると、忙しいんだなと思う。
わがままな患者も多いであろう、ほんとご苦労様である。
昼食まで、うたた寝、病棟内散歩、ストレッチ、読書で時間をつぶす。
12時 昼食後両親が面会。
自分達が今まで入院や手術をしていないのに息子のこういう状況をみて
複雑な気持ちなんだろう。
心配の言葉の端はしにそんな事が伝わってくる。
ただ、母も高血圧で食事の改善や運動を進められているし、父も時々からだのあちこちが痛いなんて
言っているのに病院へは行ってないし、棚に上げている自分たちの事のほうがよっぽど心配でならない。
もう若くないんだから、その頑固な性格をすこし見直して、子供達の意見を聞いておくれ。
今回入院して周りの患者達が自分の両親以上の年齢が多かったので特にそう思った。
手術前なので、お風呂に入ってさっぱりしてまたまたうとうと・・・
15時に家族が面会。チャーハンと、パイニーのパン数種類、チーズビットとチョコレートの差し入れ。
うーん、うれしい。
あいかわらず、子供達はじゃれてきて楽しそう。このときばかり、父親が家にいないと寂しいなんて
嬉しい事言ってくれる。調子いいもんだ。
途中で、麻酔医と手術室の看護師の説明があったが、両人とも若い!20代にみえた。
なんだか少し心配。どの世界も実際に経験することが人材育成の中で大切だろうが
医療で自分が関わるとなると、正直戸惑う。経験が浅い人が行い、術前に言われた
手術による様々な可能性の一つになるんじゃないかと不安になる。
といっても、どうしようもないしプロを信用し、全身麻酔と共に不安は忘れる事にしよう。
18時面会時間目一杯滞在し、家族は帰宅。
夕飯を頂き、恒例の差し入れを食べ、お腹を満足させて、さて、トイレに行ったら
下剤と睡眠薬を飲んで寝るとするか。
昼食。初めての病院食だ。
ただ今は術前、健康体なので、『健康食』である。
夕方、医師からの手術説明を受けた。
今まで行なっていたレントゲンなどの検査結果と共に写真を交えて説明を受けたが
その内容が驚くほど細かく、丁寧でびっくりした。
時間も30分は費やして、手術方法よりもこの治療によって発生する様々な可能性について
説明していた。
はっきりいって、不安になる怖い話は半分以上あったが、逆にこれが安心となっていたかもしれない。
訴訟問題や、医療ミスなどにも関係あるんだろうな。
その後、お腹すいたので近くのスーパーに食べ物を買いにいってもらった。
好物のお寿司とチョコレート、ひよこの小さい版。
ほんとはいけないんだろうが、正直今は健康体なので、これで生き返った気分。
夕飯も、そこそこに、21時には消灯なので、しっかり本を読んで目を疲れさせて
このコメントを書いて、一日目、これにて就寝。
普段と同じく朝を過ごす。朝食はただの雑炊がうまく感じた。
タクシーで病院へ行く途中、運転手との会話で
彼も胆石の手術やったことがあるそうな。
なんか親近感が湧いて話しも弾みあっというまに病院へ。
60才は越えているだろうその運ちゃんは
なんと結婚して33年間、夫婦喧嘩した事ないと!
すごいね、そんな夫婦もいるんだな。
病院到着し手続きして、術前検査後病棟のベットへ。